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2012年平和大行進マップ

 

今年のコースと行進の様子&NewS



◆2012年大阪の平和大行進コース日程(ワード)
◆2012年大阪の平和大行進コース イラストマップ(PDF)
◆日本原水協ー2012年平和大行進ビラ(A4 PDF 2ページ)


みなさん大変お世話になりました
本日7月7日に、兵庫県に無事引継ぎました。
《2012年国民平和大行進・大阪府内行進》





大阪の街々に届けよう
「核兵器のない世界を」の声を!
《 6/30 大阪・国民平和大行進始まる》

 6月30日柏原市で、川西市役所まで8日間歩き兵庫県に引き継ぐ大阪・国民平和大行進が始まりました。
 大阪では「幹線コース」と前後して府内全市町村区を通過する15の網の目コース行進が各地域実行委員会で実施されます。 
 5月に開催されたNPT再検討会議第1回準備委員会(ウィーン)ではノルウェーなど16カ国が核兵器被害の非人道性からその禁止・廃絶を強く訴える共同声明を出し、現状打開の新しい試みも始まっています。
 こういうもとでの「原水爆禁止2012 世界大会」成功に向けた大切な行進です。
 「核兵器も原発もいらない」の大きな声を大阪中に届けましょう。


《 初めての通し行進者 田中薫さんのメッセージ》

  今日昼に奈良からバトンを受け継いで府内通し行進がスタートする。定年退職して初めて参加することができる。体力には少し自信はあるが不安もある。それ以上に心は久しぶりに子どものようにワクワクしている。38年間中学社会科担当として子どもと共に学んできた。デモシカだった私も、沖縄・広島・長崎・ビキニなどで目を輝かせ涙ぐむ子どもたちに励まされ成長させてもらった。25歳の教え子が、「今の社会や政治を批判し熱く語る姿が今でも目に浮かびます」とねぎらいの便りの中で書いてくれていた。
 一方で私たちを取りまく状況は一段と厳しくなってきている。憲法違反の事象をマスコミは無批判に報道し、表面的には多くの人々が支持・黙認する状況に無力を感じることもある。だからこそ、憲法を守り生かし、要求を高く掲げ、国民の暮らし・いのちを守るために頑張っていく一日一日にしていきたい。その新たなスタートが平和行進だ。核兵器(原発)廃棄・被爆者援護を一人でも多くの人たちに伝えていこう。そこからきっと新しい一歩が始まると信じて!!
          (6月30日午前)       田中 薫(堺教組退職者会)


《通し行進者紹介》
東京~広島
*渡邊正郎(わたなべまさお)さん
(横田基地の撤去を求める西多摩の会)
*山口逸郎(やまぐちいつろう)さん
(被爆者の声をうけつぐ映画祭実行委員会)

《和歌山~広島》
*竹田昭彦(たけだあきひこ)さん
(平和遺族会)

《大阪府内(50音順)》
*浅田 健司(あさだけんじ)さん
(和泉市平和委員会)
*麻野 京子(あさのきょうこ)さん
(新婦人藤井寺支部)
*岩田 幸雄(いわたゆきお)さん
(大阪原水協)
*大矢  勝 (おおやまさる)さん
(元国労近畿闘争団)
*北川 恒雄(きたがわつねお)さん
(大阪安保)
*小豆島正典(しょうどしままさのり)さん
(日本ベトナム友好協会)
*田中  薫(たなかかおる)さん
(堺教組退職者会)
*田村 眞理(たむらまさみち)さん
(関西共同印刷労組)
*橋本 啓修(はしもとひろのぶ)さん
(大阪国公退職者会)
*馬場 忠雄(ばばただお)さん
(大阪国公革新懇)


通し行進者のみなさん(6/30 柏原市役所前 河川敷/挨拶は、北川恒雄さん)

6月30日今日からいよいよ大阪に引き継ぎ
《奈良から大阪へバトンタッチ》

 大阪での国民平和大行進が始まりました。大阪中を歩いて「核兵器のない世界をつくりましょう」と訴える国民平和大行進の準備を各コースで万端ととのえ、柏原市を6月30日に出発し、7月7日に川西市役所で兵庫県にバトンタッチする8日間の草の根の「幹線コース」と、15の網の目コース行進を成功させましょう。今年の府内通し行進者は、東京~広島が2名、和歌山~広島が1名、府内が10名の計13名です。

6月16日富山から石川に引き継ぎ
《平和行進活動交流ニュース№33(6月19日)より転載》

  富山―広島コース通し行進者の五十嵐成臣さんの日誌を紹介します。 16日、富山県庁小矢部市役所を雨のなか30名で出発(この市では、市長はじめ144筆の署名を集めていただきました) 。行進の先頭には、高岡市の小学生が横断幕を石川県との引き継ぎ会場まで持ってくれました(左写真)富山から石川に引き継ぎ。 富山の県内通し行進者「中瀬益雄さん」からプレゼントをいただきました。私の行進中の姿の絵です。この記念に大切にします。

歓迎集会で初めて花束もらう
東京―広島コース通し行進者の山口逸郎さんの日誌を紹介します


6月14日関市、岐阜市を行進
 関市ワークプラザ前で出発集会。若い人(民医連関係者)が多数参加し、頼もしく思う。岐阜県内行進では一番長く歩くコースだとのこと。
 1回目の休憩後、左足フクラハギが筋肉痛になる。前日の宿泊旅館の部屋が3階のため、階段の登り降りが原因か?階段はダメだ。行進参加前の階段訓練不足。皆さんに心配をかけて申し訳なく思う。しかし車には乗らずに歩き通した。
 民医連のみどり病院に着くと、若い職員から花束が贈られる。そんなことをされたのは初めてだ。大変嬉しく受け取る。歓迎集会には若い女性(看護師、事務職員等)が大勢参加し、岩下院長のあいさつ後、私の番になると、足の痛みも忘れて花束をかざしながら張り切ってあいさつした。
 長良川を見ながら川沿いの行進。景色は優美だが、人はいない。時々自転車、散歩者が通るのみ。岐阜市内に入る。
 美江寺公園でおこなわれた市歓迎集会では、空襲で焼け残った一本のイチョウの木が紹介された。市長(代理)あいさつ後、山崎さん(横須賀)の話をして声を詰まらす。涙もろくて情けない。足が心配だが、たぶん大丈夫だろう。

6月15日(金)揖斐郡大野町、揖斐川町、池田町、神戸町を行進
足は少しの痛みはあるが大丈夫。
 渡邉さんは岐阜市〜大垣市コースと別れての行進。私は迎えの車で大野町役場へ。役場前集会では鳴子を渡され、女性集団は菜の花も持って、町長の歓迎のあいさつにカチ、カチと鳴子の音と拍手で応える。
 揖斐川町では40人、池田町では40人、神戸町では60人もの職員が、町長、議長、教育長とともに役場前での出迎えを受ける。役場の職員がこんなにも大勢で出迎えてくれるのにビックリ。感激。鳴子を大きく鳴らす。
 池田町では抹茶の接待を受ける。素晴らしいお手前でした。
 行進途中では英数字、池田東教会説教所、信願寺、長久寺の各寺で祈願の鐘をつく。ペナントは4町で50本強も渡される。中には数人の名が書かれてある。お金を出しあったとのこと。
 心配した足の痛みもやわらぎ、歩き通せた。いよいよ明日で6日間の岐阜県もクリアして滋賀県だ。


5月6日国民平和大行進1000人で夢の島を出発!
《平和行進活動交流ニュース№1(5月6日)より転載》

  国民平和大行進中央実行委員会と東京実行委員会は、江東区夢の島・第五福竜丸展示館前にて平和行進出発集会を開催し、900名が参加しました。
 出発集会では、通し行進者の山口逸郎さん、渡邉正郎さん、五十嵐成臣さん、竹田昭彦さんが決意表明をおこないました。また、ウィーンで開かれているNPT再検討会議準備委員会へ、代表団の一員として派遣されていた橋本銀河さん(兵庫県民医連)からのメッセージが紹介されました。メッセージでは、154 万余筆の「核兵器全面禁止のアピール」署名が準備委員会議長へ提出されたこと、ウィーン国際センターやウィーン大学で行った原爆展が成功を収め、署名も592筆集まったことが報告されました。
 その後の行進には昨年を大きく上回る1000人が参加し、途中でにわか雨にあいながらも元気いっぱい行進しました。東日本大震災で被災した宮古民商から届けられた大漁旗18 本を、中央団体役員を中心に手に取り、風になびかせて行進を彩りました。数寄屋橋からは東京の被爆者30名が合流し、核兵器のない世界へ扉を開こうとアピールしました。

沿道の反応髙く
 今回の行進では、若者を中心に約10名が、沿道のみなさんに署名推進チラシと「核兵器なくそう青年実行委員会Ring Link Zero!」が作成したうちわを配布しました。受け取りはとてもよく、受け取ったうちわを振って、行進を激励して下さる姿も見られました。
 チラシとうちわを渡す際に「広島まで核兵器廃絶を訴えて歩きます」と声をかけると、「えーっ、そうなんですか。がんばってください」と対話がはずみました。

はじめて署名行動も実施
 コース途中の東陽町交差点と有楽町マリオン前で、行進と併行して署名行動も行われました。中央実行委員会としては初めてです。東陽町交差点では7 人が参加、多くの子どもたちが署名に応じてくれ、約30 分で57 筆の署名が集まりました。有楽町マリオン前の行動とあわせて、89筆の署名と500円のカンパが集まりました。

5月6日2012平和行進 礼文島出発!
《北海道原水協FAXニュース(5月7日)より転載》

 5月6日、国民平和大行進幹線コース(北海道→東京コース)が礼文島を出発しました。朝8時からの出発式には、稚内からフェリーで島に渡り国土交通労組気象支部、全労働労組北海道支部からの参加がありました。また小中学校の先生が島中から駆けつけくれ、通し行進者の米山幸子さんは「若い先生が横断幕を持ってくれ、とても元気をもらいました」と。(一部掲載)